民主党第三者委員会 第2章についての見解
2009-06-14


"政治資金をめぐる事務処理は、政治資金行政として総務省を通じて日常的に展開されており、具体的な処理基準等の提示や事務処理にかかわる助言・指導、説明要求・訂正命令などの関係者に対する監督権限の行使は、同省の責任において遂行される行政任務そのものである。"
 
 その通り。助言・指導、説明要求・訂正命令などの「適切な申告処理について」の監督・指導権限は総務省にある行政行為となる。
 この解釈自体には特に問題は無い。
 これを前提として以下の話が進むのだが、問題は「外形上」の「適切」(な方法による申告)が為されている場合、「実質内容との差異がある(または内容面において「記載を求められてはいない」が問題のある行動が見られる場合」についてどのように扱うか、という点だ。
 
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 ◆ 2.政治資金行政の仕組み
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 P.12より 2−1.基本的な制度設計
 "行政法規に刑罰が置かれている場合(これを「行政刑罰」という)、行政法規は行為者の一般的な行為規範であると同時に犯罪構成要件としての意味も有する。したがって、行政法規に違反した場合は、『行政庁による監督処分の対象となる場面と刑罰権発動の根拠となる場面が、重なって現れること』に注意を要する。そして、一般に刑罰は国家に認められた最も苛烈な人権侵害行為であることから、行政法規違反については、より緩やかな措置である行政措置が優先的に適用されるべきであり、『刑罰権は「最後の手段」として、一般行政で対応できない場合に初めてその発動が正当化されるべきもの』ということができる。"
 
  この論点は、私も支持する。
  ここで第3者委員会自らが示すとおり、行政法務において刑罰が設定されている場合「行政処分と刑罰権(司法介入)の両方が重なって現れる」事がある。身近な例で言えば、交通事故などにおける「運転免許取消」(行政処分)と「業務上過失傷害罪」(刑罰)などだ。これらは「免許取消になったから業務上過失傷害が問われる」というように連携しているものではなく別個にそれぞれ判断されることであって、独立して判断される。
  そして刑罰は、受刑者にとって社会生活上非常に制限を与える行為となる以上、その運用には十分な配慮が求められるものであって安易に刑罰に頼るべきではないだろう。刑罰権は「最後の手段」という表現は確かに十分納得できるところではある。
 
 
 P.13より 2−2.報告書の「真実」記載義務
 "仮に、法が実質的真実の探求を行政庁に要求し、現実の出捐者を究明すべきことを求めているならば、それを可能とするような政治団体事務所への立入権限や帳簿書類等の検査権限等の実質的審査権が付与されていなければ法目的を達成することはできない。しかし、現行法にはそのような規定はなく、法は真実性の探求について限度を設けていると理解される。"
 
  その通り。"真実の探求"については行政側にはない。
  ここまでは百歩譲ってもよい。だが、よく読むとこの論理をおかしくは感じないだろうか。
 
  真実探求については「行政庁に与えられていない」としても、だから「法そのものが真実性の探求について限度を設けている(真実探求については深く求めていない)」とするのはいかがなものだろう。
  政治家の政治資金の出所がどこなのか、その真実を知りたいというのは、国民として当然の権利だし当然の考え方だろう。自分達が支持する(または反対する)政治家が、どこの誰からお金を貰っていようが、誰とつながり誰の為に動いているか知る必要は無い、などと考える国民はまずほとんどいないだろう。
  ならば、誰かが「真実を探求する必要」がある。
 
  これについて、実は3で、ついにこの委員会はとんでもない事を言い始める。
 
 
 
 
 

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