「倫理」の転換期か? 新たな「親子」の可能性と問題点 1/2
2008-12-14


夫婦以外の精子・卵子使った体外受精容認へ…生殖医学会方針
12月13日14時47分配信 読売新聞
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生殖問題。

前に代理出産の問題などでも何度か取り上げているが、今回も取り上げようと思う。


さて、この問題、

浅いレベルの「倫理(感情)」だけで考える事はやめておいたほうがいいだろう。

感情(倫理)を持ち出して、目の前にある「技術的に可能」(存在できる)という事実を、「存在させてはいけない」としさらには「存在しない」としてしまうようではいけない。
このように考える事は、単に『事実』から目をそむけ「無かった事」にするだけで、問題を解決する事から遠ざかるだけの事でしかないからだ。

そもそも倫理などは、その時の社会状況で変わるものであって絶対不変の論理ではない。妊娠・出産論については、本来「自然受胎・自然妊娠・自然出産」以外の方法は、すべて「人為的な処置」が行われるものでしかない。
ならば、「倫理的に」という理論(感情論)の根拠を探れば、これら以外の方法はすべて禁止となるだろう。

『神聖な出産行為に、人工的に関わるのはよろしくない』という論理なのだから。

このあたり、「これは技術が確立されているから」とか「これは安全だから」とかいう人もいるだろうが、いかなる技術も初期段階では「安全性が確立」されている事はありえない。
何度も実施での試行錯誤を繰り返して「より安全な方法」が確立されていくだけなのだ。

だから、「現時点で確立されていないから」「新しい技術だから」社会認知が無い以上、採用すべきではない。
という論理は取りえないと思う。

と、まあ、「倫理」のしかも感情論だけで論ずる事の愚かさを書いてみたのだが、この問題、実は「倫理上・心理上」の問題が深く根底に存在している。

− その2へ続く
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※ 参考自筆記事 代理出産はSF世界で言われつつけた問題
― 2008年03月01日 00時37分31秒
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「産む機械」 発言は認めないが、行為は認める不思議な人々
― 2007年01月31日 03時25分34秒
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[色々]
[社会]

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