検察が言うんだから、死刑にすればいいんだよ!!
2010-11-01


と考えるのだけは、絶対にやめて欲しいと思う。

裁判員、死刑適用せず=耳かき店員殺害で無期懲役―東京地裁
時事通信 11月1日(月)15時35分配信
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 さてこの事件、冷静に見れば、まあ「五分五分」というのが妥当なところだと思う。
 こういうと不満に思うかもしれないが、元々この事件、一言で言えば「絶対何が何でも死刑」と『言い切れる』レベルだったのか?というところに一番の問題があった。

 確かに不条理な面はあったと思う。
 だが、だからといって「何が何でも死刑にしてしまえばいいんだ」と、後悔することなく『言い切れる』かどうかといえば、非常に難しいと思う。

 きっと、これを読んだ人は「自分なら言える」と言うかも知れないだろう。

 だが、そのような人に聞きたい。
 「死刑にすべき」と「死刑と言い切れない」「死刑が求刑されていても、それを認めないレベル」という境界線が自分の中で明確に確立しているのだろうか、と。

「2人だから死刑」 なら「1人」なら?
「か弱い女性を殺したから」なら「屈強な男」だったら?

 はっきり言って、自分の中に「人を死刑にしていい(殺していい)」明確な境界線があり、それが「万人に共通するルールだ」と言い切れる人は、いないだろう。
 逆にいえば、「自分のルールが日本のルールであるべきだ」などという人がいるのならば、私はそのような人間の方が恐ろしいとすら思う。

 今回は、全員がバラバラの価値観の中で、それでも手探りで境界線を見極めようとした裁判だ。

 結果、死刑と「言い切る」ことはできないという結論になった。

 この判決について、批判があってもいいが、もう少し冷静に評価すべきだと思う。
 少なくとも「私がその場にいたら死刑にしている」などと安易に言うのは問題だろう。


>東京地裁(若園敦雄裁判長)は1日、「死刑選択の余地を徹底的に議論したが、極刑がやむを得ないとの結論には至らなかった」

・『死刑やむ無し』とまでは言い切れなかった。

何度も書くが、これが端的に示された結論だ。

 死刑にすべきと言う人は、「殺してしまえ」と『言い切る』事の重みをもう少し考えて欲しいと思う。
 もし覚悟もせずに、雰囲気で「殺してしまえ」と言ってしまっているのならば、その思考には非常に問題があるのではないだろうか。

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特に、冒頭にも書いたが、

「検察が言うんだから、死刑にすればいいんだよ!!」

このような考え方を持っているのであれば、すぐに改めた方がいいだろう。

国家が言うから、権威が言うから、だから正しいだから従えばいい。
その思想こそが、人である事を放棄する考え方なのだから。

また、「自分の考えと違うから」許せない。
もし今回の裁判をこう批判するのであれば、それは非常に問題がある考え方だと思う。
「自分の考え方」こそが「世界の正しい考え方」と考えるのは傲慢でしかないのだから。

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今回の裁判。

「境界線を必死に見極めた」裁判員の人には、「よくやった」「おつかれさま、がんばりましたね」と私は言いたい。

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なお、被害者の遺族が「判決が許せない」というのは、当然だと思う。
当たり前の感情であり、これを否定するつもりは一切無い。

とはいえ「被害者遺族が望むのだから、死刑にしてしまえばいい」、という話でも無いことを『周り』は理解すべきだろう。

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……話は変わるが、この記事、
東スポ方式の記事の書き方だけど、ちょっと問題がある気がしないでもない。どうしたものか。
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