定額給付金は「悪」じゃない …だが
2009-01-16


ただし、ここで間違って欲しくないのは、「全体消火」が不可能になったのは「時間をいたずらに浪費したから」であって、「全体消火」という考え方が間違っているからではないという事だ。

本来、初期状態(アメリカ破綻後すぐ)であれば、全体消火は可能だった。
おそらく11月下旬なら間違いなく消火できたし、遅くとも年末ぎりぎりであれば、まだ鎮火できる可能性は残っていた。
しかし、この全体消火を「ばら撒き」と批判し徹底的にさえぎった者達がいた。

これらの人々こそが「今回、ボヤを拡大した」張本人だといえるだろう。

国民の事を冷静に考えれば、全体消火が一番望ましかったにも関わらず「自分達が政権を握るために」と消火作業をさえぎった。
「国民のために」といいつつ、国民にとって一番有効的な手段を「敵対する政党だから」と非難し妨害した。彼らこそが一番の加害者だと言えるだろう。

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さて「初期消火なら十分だったが、今の段階ではただの浪費になる」というのが、私の「定額給付金」に対する考え方だ。

現時点で、有効的な方法としては、むしろは「可能な資本をできる限り集中的に投下し」という策だとも考える。

この点においては私の考えも「民主党と同じ」だと言ってもいい。

だが、ちょっと考えて欲しい。

現状「ボヤが拡大し、2の火力10箇所にまで成長している」「水は10杯」という状況において、有効的に集中投下をするならどうしたらいいだろう。

最も有効的な手段は「2の水を5箇所に撒き、5箇所は鎮火させる」だ。
「10消すのは不可能、消せるのは5箇所まで」。簡単な論理だ。

では、残った5はどうするか。
これも実は簡単だ。

『消火できる範囲は消火する』という論理から言えば、『消火できない範囲は見捨てる』という以外に方法はない。
そして『消火した場所に延焼しないように、燃えている箇所を切り離す』。
冷たいかもしれないが、これが一番の策だ。

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どれだけ冷たいと思われようが「全員を救う事ができない」となれば「救えない命は切り捨てる」という決断が必要だ。救えない命を惜しんで、救える命すら危険にさらすようではリーダーとして失格だ。
リーダーは神様ではない。「人」である以上、必ず限界がある。
その限界において「救える命」と「切り捨てる命」の決断をしなければいけない。
逆に言えば、その決断ができないのならば「人の人生を大きく左右する」職業についてはいけないだろう。

 実際、様々な人命救助の場でも「救える命」と「切り捨てる命」はしっかりと区別する。 これは最近のドラマを見ても解ると思う。今度始まる「感染列島」という映画、これも「正しく」描くのであれば、「救えない命は切り捨てる」という事を描いてくれるだろう。
(もし描けず「奇跡が起こりみんな助かりました」などとやったら、ただの駄作)
 「全員を救う事」が不可能ならば、その時どれだけ苦しくてもどれだけ怨嗟の声をあびても容赦なく「切り捨てる」選択をすべきだ。それが『責任者』の『責任』だ。

 さて、今の政治家はどうだろう。
 どう見てもこの「切り捨てる覚悟」があるようには見えない。

 確かに「全員助けたい」そう思うのは人として当然だと思う。
 だが、この時点においてまで「全員を助ける」などというのは、それはもう『神がすべてを救ってくれる』という「宗教家」か、現実を見ない「夢想家」でしかない。明らかに『現実を生きる』「政治家」では無い。
 さらに『自分の評価が下がるのが嫌』だからと国民に本当の事(切り捨てる事)を言わないのであれば、それはもう「政治屋」に過ぎない。

 今の民主党の言葉を聞く限り、明らかに「切り捨てる覚悟」は無いと思う。


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