痴漢の副校長、免職から停職に…「短時間で比較的軽い」
7月10日12時20分配信 産経新聞
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表題から過激に書いているので、すぐに噛み付いてくる人がいるかもしれないが、本来、罪に軽重は「ある」。
このスタンスは譲れない。
この問題、大きく分けるといくつもの内容を孕んでいるので、これを分けないと大変な事になるのだが、多くの人が「混同して」話を進めている。
色々あるが、今回、次の4点にしぼる。
1.同一の犯罪でも、状況その他軽重により、処罰内容が変化するか。
2.司法罰が無い(無罪)状況で行政処分を行う場合、刑罰ありと「同じ」行政処分が可能か。
3.裁量行為の範囲として量刑の変更ができるか。
4.処罰が犯罪行為の実態に即しているか。
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1.本来、同一の犯罪でも「刑(処罰)が一つ」という事はなく、仮に一つであったとしてもその範囲において十分弾力的に運用する事が望まれている。
これは、「殺人であれば必ず死刑」というわけでなく、有期懲役から無期懲役、死刑。さらには執行猶予などまで幅広く法制度ができている事から考えれば妥当だと思う。
これを、「行為が問題なんだ」という人もいるだろうが、その場合、例えば「殺人」という行為についても、行為がある以上状況を考える必要など無く、1人でも殺せばその時点で10年と「固定罰」を定める事となる。
その他の犯罪でも同じ事で、「行為」のみで判断すると言うことは、すべての刑罰が、「行為」に対する「固定罰」となり、今の裁判などに見られるように「状況主義」など必要なくなるだろう。
(それはそれで『司法のスピードアップ』という点ではアリなのかもしれないが)
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2.これは『微妙j』。
確かに、司法と行政は独立しているので司法処分と行政処分が別箇のモノとなっている場合は多いし、通常認められている。
※自動車運転免許制度(点数・罰金制度)など。
ただ、だからといって「有罪」と「無罪」の場合に、行政処分においては「有罪」と固定し同じ最高刑を与える事が可能か?と言われれば、それは無理といわざるを得ない。
コレを認めてしまうと、「司法判断」の有無に関係なく「行政判断」で最高の処分を与える事ができる。という事になるからだ。
これは、社会生活において行政の暴走を招きかねない問題のため、認めることはできない。
したがって、今回の場合、「被害者と和解」し「不起訴」となっている以上、法律上・社会上は「無罪」として扱わなければいけない事例であり、結果、道徳上の問題からでしか処分ができない。
この状況で、最高基準である「懲戒免職」とするには難しい事案だと考えられる。
(「道徳上の問題」のみを取って処分する事は問題がある)
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3.裁量権としては、この処分規定自体が
> 都人事委審査室は「処分決定が逸脱していないか、十分考慮した上での決定。教育委員会の処分基準はあくまでも基準であり、個々の事情によってはこうした判断もありうる」と話している。
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(毎日新聞版から抜粋)
となっている以上、基準であり「弾力運用が可能」なのは明らかだ。
ならば、処分変更自体は正当性があると言える。
逆に考えれば、「起訴されても裁判で結局、無罪。起訴されず無罪。有罪」のどのパターンでも「同じ処分」という事の方が、おかしな処分(逸脱している)といえるだろう。
その視点からすれば、
>懲戒免職とした都教委の処分を「裁量権の逸脱」と結論づけ
るのは「正しい」と言える。
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ただし、問題は 4.の「処分の妥当性」
これが、一番の問題で、
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