そもそもこれは「やらせ」なのか? (九州電力問題−2)
2011-07-31


そもそもこの問題、本当に『やらせ』なのだろうか。

 今回の件は、まとめると「賛成派が『組織的』に『賛成意見』を『一般人に成りすまし』て投稿した」だけに過ぎない。
 これを「やらせ」と言ってもいいのだろうか。

 「やらせ」とは、本来、報道その他メディア側が『仕込み』を行い意見を誘導することだ。
 その意味からすれば、今回の一件は明らかに『やらせ』ではない。

 にも拘らず、メディアだけでなくネットにおいても『やらせメール』として一人歩きしてしまっている。
 これは非常に問題があると考える。
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 では今回の件、問題はどこにあるのだろうか。

 「組織的に」メールを出したことだろうか。
 賛成派・反対派に関わらず「組織的に行動する」ことは許されないのだろうか。

 そんなことは無い。集団が組織的に行動を取ることは当然の行為だ。

 組織的な行動そのものが問題だというなら、ネットで「Aという意見を皆で表明しよう」と働きかけること自体、許されない。また市民団体が「組織的に」反対運動を行なうこと自体n許されない。それとも「一般市民は組織的行動を取ってもいいが、企業に所属するものが組織的行動を取ることは許されない」とでもいうのだろうか。
 それはあまりにもダブルスタンダードが過ぎるというものだろう。
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 また「賛成意見」を出したことだろうか。

 これもありえない。
 賛成・反対、いかなる意見を表明しようと、それは『人として』当然の権利であり「企業側だから」賛成意見を表明してはいけないという理屈は許されない。

 日本国憲法においても第21条において「集会、結社及び言論、出版その他一切の表現の自由」定められた国民の権利であり、これは一般人だろうが企業に属している人間だろうが関係なく認められいてる権利だ。

 これを否定されるような事があれば、もはや「自由」と言うものはこの国に存在しなくなるだろう。
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 つまり、問題なのは残る一点だけということになる。

 それは「経済界・九州電力側としての行動」にも関わらず「一般人に成りすました」ということだけだ。
 自らの意見を表明するに当って「無関係の第三者に成りすまして」行なったという「身分詐称」行為が問題なのだ。
 これは当たり前だろう。

 「身分を詐称して」意見を言うのは自由だ、などという事はない。
 そもそも「身分を偽って」述べる人の、どこを信用できるというのだろうか。

 ネット社会においても、自らの立場を正しく述べた「実名」での発言こそが「発言に責任を持っている」ものとして扱われている。「匿名での意見」など、最後には「信頼できない意見」として扱われているのが普通だ。
 2チャンネルでさえ、「顔の判る」ソースの無い意見など信頼されない単なる「デマ」として扱われるのが普通だ。
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 結局、この件での問題は「成りすまし」という行為であって、「やらせ」という行為では無いということになる。

 そもそもこの件は「やらせ」ですらないのだ。

 にも拘らず、この一件を「やらせ」という言葉を使い表現しているマスコミの在り方は非常に問題であり、また、さらにはネットにおいても「やらせメール」という言葉が一般化してしまっていることには、非常に危険だと感じている。

 この問題は、「やらせメール」という言葉を使って意識を偏向させること無く、「成りすましメール」として正しく見極めることが、ネットにおいても必要だろう。
[政治]
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