時代の読めていない老人代表
2010-12-30


紅白で演歌が減っている。
時代の流れというよりも必然だと思う。

北島三郎が時代を読めずに言葉を発していた。
申し訳ないが、北島三郎も「老いた」というところだろう。

「老いては麒麟も、駄馬に劣る」まさにそのように感じた。

【紅白リハ】北島三郎、演歌枠縮小を憂慮 「演歌を大事にしてほしい」
オリコン 12月29日(水)15時51分配信
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今の50〜65までを対象として考えた場合、彼らが青年の時代、15歳当時と考えれば、おおよそ35〜50年前が範囲になる。
年代でいえば1975年〜1960年と考えていいだろう。

まず彼らが青年時代に聴いていたものと言えば、1960年あたりから。
当時、演歌など聴くはずもなく、グループサウンズが中心、後半はビートルズの洋楽がはやり始め一方でフォークが世代を席巻した。
また、70年代になると、スター誕生などで出てきたピンクレディやキャンディーズ・男性で言えば御三家が主流になり始めた頃だ。

また、この年代が大人になってからの曲を考えてみよう。
単純にプラス10で1970年〜85年と考えてみればいい。

この時代、最初は初期アイドル時代と重なり松田聖子が出てくる手前ぐらいまでとなる。また大人向けの曲といえば、尾崎豊彦や布施明、その他「歌謡曲」が基本になるだろう。

つまり、どうやっても「演歌低迷時代」・「歌謡曲全盛」時代に10代〜30前後まで生きていた人たちだ。

この年代の人が、今になって求めているものが演歌だと思うだろうか。

はっきり言って「ありえない」。

もし今のJ−POPでなくゆったりとした曲を望むとしても、それは演歌ではなく、ムードミュージック系の歌謡曲となるのだ。

この事に気がつかない北島三郎。
ある意味、憐れな「終わった世代」
まさに老醜を曝している世代の象徴だといえるのではないだろうか。
[色々]

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