やりたい事のために全力を尽くす。それは評価していい。
2009-03-07


<岩手・達増知事>県政史上初の再議申し入れ 議場で土下座 マイクロバス整備予算巡り
3月6日20時59分配信 毎日新聞
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本当はこっちを先に取り上げたかったのだけど、NBの方でおもしろい記事があったので後回し。

さて、この岩手県知事の行為。
色々言う人がいるが、私としては「よくやった」と評価してよいと思う。

 政治家や知事の仕事とは、一言で言えば「自分の政策を実行できるようにする」という事。それ以外には存在しない。
 「政策を実行できるようにする」という最重要課題からすれば、自分の名誉とかプライドなどと言うものは、はっきりいって何の価値も無い。
 端的に言えば、「自己の政策実現のために全能力を投入する」。この基本原理に、どこまで集約できるかどうかが、その政治家の能力を見極めるうえで大切なポイントだろう。

 とはいえ、これは安易な土下座を勧めているわけではない。

 「政策実現のために」必要であれば、逆に「どんな事があろうとも頭を下げない」という事もおこりうる。

 だから「土下座が正しい」というように勘違いするのであれば、いただけない。

 今、その時、何をなすのが効果的か?
 政治家は、それを常に考えて行動すべきだろう。
 今回、それが「土下座して賛同を得るのがベスト」。そう判断したからこそ、思い切って土下座をした。
 
 その点においては岩手県知事の政策実現にかける意気込みは非常に評価していいとおもう。

 だが、一方、ここで勘違いすると困る。
 『意気込みを評価する』と『政策として正しいと評価する』はまったく別なことだ。
 たとえ意気込みはあっても、愚策であればそれは『愚策』でしかない。
 だから、自分達からみて『愚策』であれば、相手がいくらやる気があっても、こちら側も同等のやる気をもって叩き潰せばいい。

 このあたりを混同して考える人については、その人の政治センスは低いといわざるをえない。

 対等な敵、好敵手と考えた上で、『自己の政策実現のために』相手方と交渉し、味方を集め、敵を叩き潰す。
 政治家に必要な事はそれだけのことだ。


 パフォーマンスも裏工作もすべて『自己の政策実現のため』。
 そして、有権者やその他の政治家において、判断すべきなのは『その政策に賛同できるかどうか』という事。
 それ以外の事に目を奪われている限り、正しい判断は難しくなるだけだろう。
  ここを間違えて判断すれば、『意味の無いパフォーマンス』だけが横行し、それこそ「ワイドショー政治」で満ちてしまうだろう。


 ちなみに今回の話、「土下座した事で票が流れるのがおかしい」というならば、「どうか、知事、その意見を取り下げてください」と反対派全員で『土下座返し』するぐらいの機転が欲しかった。

 そうすれば、知事の土下座など一気に価値がなくなるのだから。
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