定額給付金は「悪」なのか? 3 −ちょっとダレた

コメント(全3件)
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BONTRA ― 2009-02-27 21:28
>これだけ病人・老人があふれかえっている状況を考>えると、これら予防を怠っていた事は明白だろう。
>ならば、その責任は誰にあるのだろうか?
>それは「今まで予防を怠ってきた」本人にあるのでは>ないだろうか?
予防医学で医療費は抑制することはできません。
なぜなら、死亡時に膨大なコストかかるので、予防医学はそれを先送りすることになります。
結果として、予防医学を進めると、寿命が延びて医療費、年金などの社会保障費が増加します。合成の誤謬(笑)。
麻生首相が批判されたのは予防医学で医療費が増えることを知らなかったからでしょう。

あと、病気の原因は国の責任が大きいです。糖尿病の場合は規制緩和(大型店の増加で運動不足)、農業政策(小麦の輸入を減らさなかった)、都市の郊外化(車依存)が増加の主因です。
既に40歳以上の国民の50%が糖尿病か軽症糖尿病で、若年層にも増えています。
TAKE(管理人) ― 2009-02-28 03:31
コメントありがとうございます。ただ
>予防医療で医療費を抑制する事はできなません
 との事ですが、そうでしょうか?

基本的に「リスクマネジメント」の考え方で記述します。

 『リスクマネジメント』とは、
1・リスク発生率を低減化する。(事前回避・予防)
2・リスクが発生した場合のダメージを減少する。(事後対策)
この二つから成り立っています。

これは、いかなる事象においても活用可能な基本思考、簡単に言えば「事前の回避と事後の対策」です。
そして「人の一生」においてもこの基本思考は適用できる事だと考えます。

 なお、今回述べた、医療費問題については、麻生総理の論理はともかく(というか「私の論理」を述べただけであって麻生総理の論理はどこにも書いていないので、私が書いた事を「麻生総理の論理」と書かれると非常に困ります。)

で、私の基本思考は
「ある程度の事前予防・回避」によって、病気による「被害を軽減化」、「病気にならないようにする」ことは可能と考えています。

そして、通常「事前対策コストは、事後発生対策コストより低い額で済む」と言う発想で考えています。

 ちなみに、私がここで述べている『事前対策コスト』(予防)とは、
「特別なクスリ」や「特殊な機械・道具」による高費用がかかる対策ではなく、運動や食事その他生活改善により、体質を『自然状態において改善』する事によって「病気にかかりづらくする・老化しづらくする」という、古来からの低コスト『予防』です。
 説明が少なかったかもしれませんが、この古来からの低コスト『予防』を用いれば、現在の「病気発生率」は低減されると思います。そして「病気発生後の対策費用」も軽減されるものと考えます。

 「どれだけ体を鍛えても、どれだけ日常生活を改善しても病気に係る可能性(発生率)を下げる事はできない」のでしょうか。
 また「日常生活の改善」費用は「病気後の治療コスト」よりも高いのでしょうか。
 私は、「日常生活の改善」費用は、ほとんど0に近いものだと考えていましたが、「日常生活を改善する」事はそれほど高額な費用を要するのでしょうか。

私は、そんな事は無いと考えています。 
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また
>なぜなら、死亡時に膨大なコストかかるので、予防医学はそれを先送りすることになります。
予防医学を進めると、寿命が延びて医療費、年金などの社会保障費が増加します。合成の誤謬(笑)。

これは「発生後」の「事後対策」の問題です。

「被害をどこまで許容するか?」
「どの程度の被害で、打ち切るか?」
という「事後対策としてどこまで行うか?」という問題です。

逃れられない「死」という最終被害に対して、どこまで治療・延命を行うのか?
「老化」という、劣化被害に対してどこまで補修・補強するのか?
という問題です。

これは、本来、「事後対策」について「現行より効果的な事後対策」が無いか?
という事を論じる問題であって別箇に考える事です。

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すべてのものは、
新品の状態から徐々に劣化しいずれ壊れます。

「壊れきるまで補修し続け、使い続ける」のか
「壊れきる前に、ある一定段階を超えたら破棄する」のか、補修費用・維持費用・そして最終局面の捉え方。
このすべてを含めて考えるのがダメージコントロールです。
人間の場合は、「人生の在り方」です。
これは、「尊厳死・安楽死問題」などを含めて考える事だと思います。

また、「発生後のダメージコントロールコストは事前に何をしようと変わらない」というのは、「より効果的事後対策」を考えることなく「既存の事後対策」しか捉えていない考え方だと思います。

本来、「事前予防・回避」「事後対策」は、両者を含めて考える事が大切です。

(省略されました)
TAKE(管理人) 追記 ― 2009-02-28 04:13
どのような対策をとっても「医療費総量」は変わらない。
というのが「医療経済学者」の定説ですが、

本来、「自然に寿命が延びた」場合、「医療費が増える」事はありえません。

『医療』というのは、「人の行為」であって「自然の事象」では無いからです。

彼らの論理を正確に言えば

「人為(治療)によって、寿命を『延ばした』」から『延ばした』分だけ費用がかさむ。という論理です。

もっと厳しく言えば、
「医療技術(修理技術)が進歩したから」という理由だけで
「医療回数(修理回数)を増やして人間の寿命(モノの対応年数)を延ばす」
「そのために医療(補修)費用がかさむ」
というだけの論理です。

で、この根底思想には
「人間の寿命は延びれば延びるほど幸せである」
「医療が進歩した以上、その医療で直す事が絶対に正しい」
という思想が見え隠れします。

確かにそのような考え方があってもいいと思います。
ですが、これは「絶対の思想」ではありません。

どこまでいっても、ある一つの死生観です。
一方的な思想でしかありません。

すべての人間が持つ「共通の思想」ではありません。

 確かに「技術者側(医者側)」は「最高の技術(医術)をもって事に挑む」事を基本とするのは当然です。
 ですが、受ける側がそれを望むかどうかは別の問題です。

彼らの思想によって考えれば、
「安楽死・尊厳死」
「自らの生を選ぶように死を選ぶ」という思想が成り立ちません。
 「技術がある以上、その技術により人は治療を受け延命する」という思想を前提とした論理ですので。
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 人がどのように人生を送り、どのように終末を迎えるか?何回、医療(修理)を受けるか?
 それは、本来、個々の自由意志に基づくものであって、彼らの論理だけが正しいわけではないと考えます。
 死生観はそれぞれの立場・あり方によって考えるべきだと思います。

 にも関わらず、「人は寿命が延びれば(治療可能であれば)治療を受け続けるのが基本である」という思想で論じている。

彼らの述べている事は、一見「経済論」のように見えますが、「一つの死生観」(思想)を根拠として述べているだけなので、経済論としては非常に問題があると思います。

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