偉人かどうかは別にして、「卓越した指導者」ではあった
2008-12-08


アイドルが「ヒトラーおじさん」偉人と紹介 テレビ東京謝罪
12月8日21時19分配信 産経新聞
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まあ実際、どのような取り上げ方をしたのかは知らないので、その事について述べる気は無い。

ただ、ヒトラーの「善悪」は別として、ヒトラーが「卓越した指導者」であったという事実。
これは否定してはいけないと思う。

ここで勘違いは、して欲しくない。

確かに「最終的な方向性」に問題があった事は自分も否定しない。
「方向性」については認めない。

だが、あの当時のドイツを建て直し、軍事大国にまで仕立て上げた「能力」そのものは、否定する事はできない。

「方向性が間違っている」=「能力が無い」と、安易に否定する事こそ、最も短絡的で無知な行為だと思う。

単なる「馬鹿」ではあそこまでドイツを建て直し、第2次世界大戦に突入することなど不可能だった。

それだけは認めないといけない。

そして、そこから「政治能力・指導者としての有効な手法」については学ばないといけないだろう。

よく、私は「目的のために手段が肯定される事は許されない」「目的と手段はその評価を分けて考えなければならない」と言っている。

これは、このようなヒトラー相手でも同様だ。
上の論理は逆説的に言えば、
「目的が悪かったから」という理由だけで「手段が否定される事」も許してはならない、という事に繋がるからだ。

だから「目的」と「手段」を分けて考え、あえて大声で言いたいと思う。

「ヒトラーの政治手法・指導者としての活動については学ぶべき点が多くあり、その指導能力が傑出した人材であったという事は否定してはいけない」と。


・たとえ『悪魔』であったとしても、だから『無能』とは限らない。

この事を忘れてはいけないと思う。

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感情に流されて、「事実」から目をそらす。理性で判断しようとしない。
そのような意識こそが最も危険な状態だと思う。
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